以前に「ほめる」とは、とても意味が広いというお話をしました。 誰もが共通して認識されているのは「称賛」することだと思うのですが、実は「承認」「感謝」「尊敬」「共感」「労い」「応援」などなど、こちらが何気なくお子様に発した言葉でも、お子様の方が「ほめられた」と感じている場合がたくさんあるのです。 ですから、相手が「ほめられた」と感じたことはすべて「ほめ言葉」に含まれるのですね。 では、叱られた時はどうなのでしょうか? 大人は「怒る」と「叱る」の違いを変に意識してお子様に接する方がたくさんお見えになります。 その違いは、「怒る」は感情をこめて責めてしまうこと。「叱る」は相手のことを思って正しく導くことですが、そこには「注意する」や「諭す」とは違って、強い口調で伝えることなのですね。 たしかに「怒る」のように、不満や感情をぶつけることではないにせよ、口調は強いのです。 「注意」という文字を見ていただければ違いが分かりやすいかもしれません。漢字を分解すると、そのことに意識を注ぐとありますから、きつい口調でなくても伝えることはできます。 ですから、「怒る」は別物で、「叱る」の集合体の中に「「諭す」や「注意する」が含まれているとも考えられます。しかし「叱る」は強い口調だけに、「怒る」に似ているところがあるのです。はじめに述べた「ほめる」の意味が広いのと同じで、こちらが正しく導こうと思って叱っても、相手やお子様が怒られたと感じてしまったら、「注意されたのだ」「諭してくれたのだ」とは思えないのですね。 お子様が「ママはまた怒るんでしょ!」と言われた時は、口調に感情が多めに入ってしまっているのかもしれません。私たち大人同士であればその気持ちは伝わりますが、相手が小さなお子様なら感じ方が変わってきてしまいます。 感情をうまくコントロールして、諭してあげられればいいですね。 叱る時は、「目を見て」「短く」「事実を確実に」「少し低めの声」で伝えてあげるといいですね。 暑さに負けずに頑張ってください。
毎日暑い日が続きます。この時期、夕飯の時にビールグラスを片手に持って「いただきまーす」はお父さんだけでなく。お母さんも楽しみなのではないでしょうか? お互いグラスを傾けながら、楽しく食事をしようという時に、相手がグラスを下に向けて手を出されたら、「えっ?」っと思ってしまいます。 実は、皆さんの体の中には、上を向いたり下を向いたりする「心のコップ」があるのです。 特にお子様の心のコップは激しく向きが変わります。ポジティブな言葉をかけられた時にはコップは上を向いて、どんどんとコップの中に入っていきます。しかしながら、ネガティブな否定語や誰かと比べられたり叱られたりすると、心のコップは下を向き、もうそれ以上受け入れようとはしなくなってしまいます。もちろん、大人でも同じことが言えますよね。 皆さんの心のコップは上を向いていますか? 「ほめ達」協会のセミナーで、こんなことを教えてもらいました。 「心のコップを上に向けてみてください。そうすれば、いくらでも知識もスキルも注ぎ込んでくれる人が現れます。コップを下向きにしていると、誰も注ぐことはできません。」 以来、私は心を素直にして、コップを上に向けてみようと意識をしました。 すると不思議なことに、周りから私をサポートしてくれる声がたくさん聞こえ始めました。そして仲間も増え、いつのまにかこれまで交流が持てなかった人たちまで集まってくるようになったのです。 私たちは、一人で生きることはできません。自分一人の力では限界があります。 家族や仲間や関係するすべての人のサポートがあって、初めて生きていくことができるのです。 逆に、お子様やパートナーが心のコップを下に向けている時は、上を向くような言葉をかけてあげたり、接してあげてください。 すべての人の心のコップが上を向いていれば、明るく楽しいひとときが送れることでしょう。 頑張ってください。
「ほめ達」は叱らないのですか? このようなご質問を受けることがあります。とんでもございません! 「ほめ達」だって間違ったことをした時には厳しく叱ります。大切なことは、「誰が言うか」なのです。 相手によっては、叱られても素直に聞けない時があります。しかし、厳しく叱られたのに「ありがとうございます。よく叱ってくださいました。」と素直に受け入れられる相手もいます。 それは普段、自分のことをどれだけ気にかけてくれているか、どれだけ自分のことを見てくれているか、の違いではないでしょうか? お子様の場合でも同じです。叱り方にブレがあったり、親御さんがそのことに対して出来ていなければ、お子様は素直に注意を聞き入れることができないのです。 口では「分かった!」と言い、首は縦に頷いて見せてもその場を離れると、また同じことをしてしまっているかもしれません。 ですから、親御さんは一貫性をもった厳しさは持ち合わせていた方が褒められた時に嬉しさも倍増するのです。躾は必要なことです。ですから親御さんもそれに伴った行動や言動をお子様の前で実行していただければ幸いです。 頑張ってください。
大人は子どもの言うことををすべて聞いていると「わがまま」になると思い込んでいるようです。 この思い込みは今に始まったことではなく、大昔から延々と続いているようです。 しかし、この説は「児童心理学」の中で真っ向から否定されるようになりました。 真実は真逆だったのです。 忙しくて手が離せない時でも矢のように子どもたちはお願いを浴びせてきます。 「ねえ、ねえ、これ読んで。」「お母さん、抱っこして!」などなど… しかしこんな時は無下に「あとで!」と否定せずに、まずはその気持ちを共感してあげましょう。 例えば、夏の日中に「お母さん、公園で遊ぼう。」と言われたとします。 そんな時に「こんな暑い時に公園なんかに行けるわけないでしょ!」と言いたくても、「そうだね。公園は楽しいもんね。でも今は暑くて病気になっちゃうから、夕方涼しくなったら一緒に行こうか。」 こんな感じで、まずはお子様に気持ちを汲んであげてください。そしてそのあとで理由をつけて意見を言う。 これならばお子様も一度は気持ちを汲んでくれたと思い、渋々でも納得してくれます。 そうしたら、すかさず「おりこうさんだね。お母さんの話を分かってくれてありがとう。」とほめて気持ちに感謝する。 こういうことがとても大切です。 いちいち否定的な言葉、「だめだめ!」「できるわけないでしょ!」などをいつも浴びせていると、「私はダメな子なんだ…」そんなふうに思うようになってしまいます。 自己肯定感や親への信頼感も下がりっぱなしです。特に多いのが冒頭の「そんなわがまま言わないの!」です。 言うことを聞く代わりに「共感」から入ってみてください。慣れない言葉かもしれませんから、一度目ではスムーズにいかなくても繰り返しているうちに必ず聞き分けのいいお子様へと変化されます。 ぜひ、お試しあれ。
「愛ある人は一手間多い」 こんな言葉を「ほめ達セミナー」で教えていただきました。 何をするにも、「もう一手間かけられないだろうか?」そんなことを習慣にしていくことです。 それはどんな小さなことでもいいのです。 誰かへのLINEにも、もう一言プラスアルファの言葉を足してみる。 あいさつの時に、季節の話をつけ足してみる。表情も意識してみる。ワンアクションつけてみる。 お客様には小さなプレゼントを用意してみる。訪問時には手土産を工夫する。 小さなことですが、一手間かけることを習慣化できると、周りの関係性が変わりだします。 そして大切なことは見返りを求めないということ。 「一手間かけたのに…」と、「のに」が気持ちの中に生まれた瞬間、かけた一手間が生臭いものに変わってしまいます。 一手間かけるのは、すべては自分のため。なぜなら、心に余裕がないと一手間かけることはできません。 逆に、自分の心に余裕を持つトレーニングのためにも、一手間かける意識づけをしてみてください。 一手間かけることは「$FFFD